
自分らしさを出そうとすればするほど、
うまくいかなくなっていたあの頃。
それでも私は、
「空間をつくること」
「誰かを迎えること」
を手放すことができませんでした。
第4章|椛の誕生と、守るために手放したもの
料理教室でも、カフェでも、
私がいちばん大切にしてきたのは、
料理そのものよりも、
その場に流れる空気や、
心地よさだったのだと思います。
どんな器を使うか。
テーブルとテーブルの距離。
光の入り方。
声のトーン。
その一つ一つが、私にとっては、
「人を迎える準備」そのものでした。
このまま、誰かの正解に合わせ続けるのか。
それとも、自分の感覚を信じてみるのか。
悩んだ末にたどり着いた答えは、とてもシンプルでした。
「自分の場所をつくろう。
誰かの看板ではなく、自分の名前で。」
そうして生まれたのが、
カフェ「椛(もみじ)」です。
椛という名前は、
私の名字である「照山」から連想しました。
「秋の夕陽に てるやま もみじ」という歌詞が、ずっと心に残っていて。
自分らしいお店にしたいという意味を込めました。
そしてもみじは、
同じ木でも、季節によって姿を変えます。
移ろいながらも、
その時々で一番美しい色を見せてくれる。
椛には、旬の食材を使い、季節の変化を感じてもらいたい、
そんな想いを込めました。
前の場所を離れてから、改装と立ち上げまでにかけられた時間は、たったの二ヶ月。
家賃は続いていたため、立ち止まって考える余裕はなく、
「今できることを、精一杯やる」
それだけでした。
オープンしてすぐはお客さんも少なく、売上が立たない日もありました。
正直に言えば、
「もうやめた方がいいのかな」
そう思った事もありました。
それでも、新しいメニューを作ったり、イベントに出店したり、少しずつ工夫を重ねていくうちに、
椛を知ってくれて、来てくれる人が増え、こうして今まで続ける事が出来ました。
派手な成功ではありません。
でも確かに、
椛は「必要としてくれる人がいる場所」になっていきました。
そして、椛を始めてからも、
料理教室はずっと続けていました。
料理教室は、私にとって原点のような存在で、簡単に手放せるものではありませんでした。
けれど、カフェと料理教室を同時に続けることは、思っていた以上に大変でした。
カフェを営業しながら、同じ場所で料理教室を開催したり、
料理教室の日はカフェをスタッフに任せたり。
カフェの定休日や営業後に、
料理教室の試作や撮影をしていました。
料理教室の前日は、準備で日付が変わることもありました。
どちらも大切だからこそ、
どちらにも全力で向き合いたくて、
でも現実には、時間も体力も足りませんでした。
少しずつ、これまでできていたことが、
同じクオリティでできなくなっている。
そう感じて、品数を半分にして続けてみたり、やり方を工夫してみたりもしました。
それでも、
「これでいい」と
心から思うことができませんでした。
料理教室も、カフェも、どちらも中途半端になっている。
その事実が、いちばん苦しかったのだと思います。
悩んだ末、私は今年の3月をもって、
料理教室を終える決断をしました。
できなくなったからではありません。
続けられなくなったからでもありません。
大切にしてきたものだからこそ、
このままでは続けたくなかった。
それが、私なりの答えでした。
料理教室で出会った人たち。
重ねてきた時間。
そこでもらった言葉。
それらは今も、私の心の中に残っています。
そして椛という場所は、
「答え」ではなく、
次に進むために必要だった場所だったのだと思います。
この場所で初めて、私は
自分の感覚を否定せずに、好きな事を生業とすることができました。
椛は、私が私に戻るための場所。
そしてここから、また新しい選択が、静かに始まっていきました。
第5章 予告
次の章では、
料理教室を手放したあとに訪れた、
静かな問いについて綴ります。
私は何を続けたいのか。
どんな形で、人と関わっていきたいのか。
その答えを探す中で、
少しずつ
私の中で浮かび上がってきたものとは。
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